THE ROTATORS - The Savage's Plastic Ikebana
1990年代から、僕の作品であり、オリジナルの楽器でもある、
LOVE ARMを日本以外の国で展示や演奏をする経験が始まりました。
LOVE
ARMは、スカルプチャーとしては、僕にとってなじみ深いいろいろな俗っぽい物、例えば野球のバットとか車のライトとかオートバイのハンドルバーと
か、そのもの自体が合体してできているものです。道具としては、他にはないオリジナルのフォームでエレキギターのように身体に装着して、様々な音源のサウ
ンドを
アンプで増幅するエレクトリック楽器で、そのスタイルは、生命力に溢れたロックのマッチョなユーモアを大切にしています。これをシリーズで何種類か作りま
した。LOVE
ARMは、ドリルがきしむ音や、オモチャの光線銃の音や、フィードバックのノイズなど、音楽的ではないヘンな音ばかり、アンプでバカでかい音に増幅
して鳴らしていましたが、基本的に全てリード楽器だったので、パフォーマンスとしてそれだけで成立させるのは難しかった。つまりバックグラウンドの音楽
や、誰かと一緒に演奏することが必要でした。
それと並行して、コンテンポラリーアートのギャラリーで作品を発表するキャリアが本格的になっていったのですが、より成熟した、さらにアップグレードし
たサウンドスカルプチャーを一人のアーティストとして作り上げたい気持ちになってきました。そうしてできたのが、現在進行しているサウンドスカルプ
チャーとライブパフォーマンスのプロジェクト、THE ROTATORSです。ここから、THE
ROTATORSのプロジェクトを中心に、僕のアートワークについて話をしてみたいと思います。
LOVE
ARMは日本製だったので、必要な電源がAC100Vの仕様でした。電圧が100Vの国は他にないので、海外では常にコンセントからの電圧を変換するトラ
ンスフォーマーが必要で、これが重くて高価なのがいつもやっかいでした。なので、あるとき、次にこういう仕事の機会があったら、変圧器を必要としない作品
を作ってみようと思いました。つまり、どこにでもあるもの、現地調達できるものを使ってなにか面白いことをやってみようと。
僕が仕事で行った場所は、ほとんどが普段暮らしている東京と同じような大都市だったこともあるんでしょうが、だんだん、なんだかどこの都市も同じに
なって
きている気がしていました。そして、僕自身も嫌いではなくて、便利に居心地良くすごしている、この世界中の大都市の均一な文化をモチーフにすることを決め
ま
した。
具体的には、ドライヤーとかドリルとか、どこでも同じ呼び名で通じるモーターを使った普通の家電製品をメインの音源にする。また、世界中にDJがいるの
で、どこの都市にもあるDJ用ターンテーブルと、大量に生産されたポップスの中古レコード盤を使ったインターフェイスを作る。他に使用するものも、自動車
や
家具や玩具や照明器具など、現地調達の、ヴィンテージではなく中古の安価な、見なれた、一般家庭で使うものである。でき上がったものは、それらが合体して
できた、自動演奏するサウンドスカルプチャーで、マニュアル操作で演奏できる楽器でもある…。というアイディアが一気に生まれてきました。
THE ROTATORSのサウンド面は、LOVE
ARMと同様に、ラウドなエレクトリックの、ロックの技法を引用したものになっています。これは、僕が「自分のオリジナルのものを作らなければ!」と最初
に強
く思ったきっかけが、1970年代後半の、パンク/ニューウエーブの「音楽のDIY」の思想にあるからだと思います。つまり、14才の時に、「自分のエレ
クトリックなやり方で、ポップに対する回答を出すべし」という課題を出されて、その回答を提出しなければいけないと、今でも思っているのです。
THE ROTATORSでは、モーターが内蔵された家電製品が動く際に出す音をエレキギターのマイクとアンプを使って増幅します。THE
ROTATORSのサウンド表現の基本は、全てその場で、フィジカルに、質量をもった物質が実際動いた音で構成されているということです。なぜなら、ロッ
ク
の表現は嘘をついてはいけないもので、アートは端的に本質を語っていないといけないからです。
ジャンク、セカンドハンドのものや日用品を使った表現が、過去に世界中でいろいろ行われていたことは少しは知っていました。戦前のダダ。1950年代以
降の様々なアヴァンギャルドの実験。ポップアート。ジャンクアートというのもこの頃生まれた言葉でしょう。これらは世の中の変化と、その時代のプロダクツ
の変化が合わさって様々な異なる位相を生み出してきたともいえるでしょう。そして、今はこの地上の全ての物質が有限であることが明らかになった時代で、全
てのものがリサイクルされるべく動いている。これは極端に言うと、現代を生きる我々全員が中古主義者としての矜持を持たなければならない、という意味で
はないでしょうか。なぜなら、再生紙や瓶だけではなく、新品のコンピュータや何かブランド品の商品を買っても、再生された材料や素材、パーツが使用されて
いるのですから。ピカ
ピカの新品の未来は過去のものになったのです。そう
いう時代に、都市のジャンクや中古品をそのまま組み合わせて彫刻を作ったら、僕が育った高度成長の時代の大量生産品を使ったアートとは全く違うものにな
る
のでは?
という仮説と期待をもって実験を始めました。東京郊外のぼくのスタジオの付近には家屋の解体業者がいくつかあって、廃材や廃品を乗せたトラックが
頻繁に通るので、それをぼーっと見ていて思い付いたものです。
次に、THE
ROTATORSの素材である中古の製品は、全てが1985年より前に基本的な機構のデザインが行われたものであること、という決まりを作りました。例
えば、僕がよく使う、ジューサーミキサーやドライヤー、電気ドリルなどは、2007年製でも、大きな仕組みは1985年以前のものと変わっていません。
さ
て、1985年に何が起こったのか。音の信号を強烈に増幅するロックの表現技法と電気的な技術が80年代に入ってほぼ成熟の域に達したことも、とても重要
な
の
ですが、このプロジェクトで様々な電気的な製品を観察していると、この頃を境にして、その物理的なサイズがどんどん小さくなっていくことがわかります。こ
の件については、伝統的にものを小さくする国、日本にも責任があると思いますが、80年代にはデジタルのデバイスが大量生産され安価になり、また安価な労
働力をアジア
各国に求めて、その結果世界中のものが、薄く、プラスティックな、華奢なものばかりになっていきます。そうなると、まずこのプロジェクトの素材としては加
工
がしにくくてよくない!。新しい製品はどうやって分解したらいいのかわからなくていじり壊してしまう!!。デジタルものはどんどん小さくなって人間のス
ケールに対して小さくなり過ぎてしまった。道具のボタンが小指の爪より小さい!!!。
僕の体験した、ものが小さくなりはじめる時代の始まりの兆しは、カセットテープのウォークマンのデビューと喫茶店のテーブルがビデオゲームになったこと
だったと思うので、1977,8年頃だと思い
ま
す
が、
この歴史的に大きな変化の分岐点が1980年と1990年の間にあると思って、その中間をとって1985年としたのです。まず、家庭用の小型ビデオカメラ
を代
表する、SONYのハンディカムがデビューしたのがこの年のことです。アナログのレコード盤からCDに、音楽ソフトのメインの形態が実質的に切り替わった
の
もこの時期です。自動車も、この頃までの年式のものは形が四角い。僕は世界の行き過ぎた非物質化に反対し、ヒューマンスケールのものづくりと身体を伴う
思考を提唱しているのです。簡単に言うと「工作」です。
素材を決定した理由はもう1つあります。日本では、国家が近代化するためのツールとして、明治時代になってから西洋のアートを輸入して「美術」と名付け
た経緯があるので、日本人のアーティストとしては近代化について考えないわけにはいかないと思いました。そこで、最も手近な
ところにある近代化のシンボル、パステルカラーの家電製品に超ストレートに向き合ったリアリズム表現を、今さらのようですが今こそやってみよう、と考えた
のです。
さらに、全ての中古品は、まず、そのもの自体の美しさを活かすべく、オークションで高い値が付くほどに丁寧に掃除をされ、素材として作品となってゆく
際に
は日本料理のようにキッチリと組み立てられることを目指します。クリーンでキッチリしていることは、日本の美の概念において核になるものです。ワイ
ルド
なカオスは我々日本人にとってエキゾチズムの対象でしかないのです。この概念は、日本のヴィジュアルアー
トの分野では「工芸」というジャンルが特に代表的に表しています。
ともかく僕は、自分の仕事と日本の文化との関係という意味では、まず、西洋のアートが輸入されていなかった時代からずっと日本にあるアートと、第2次
大
戦後の
日本に生まれ育った僕自身の生きているリアリティを正しくつなぎ、そしてこれを、僕の良く知っている現代の都市の均一な文化をベースに、どこにでもあ
る現代的な
素材や
技法で表現することができないだろうかと思って、いろいろとやっています。加えて、フットワークの軽いある種の軽薄さも、日本の文化の大切な要素だと思っ
ていま
す。
この考えを総合的かつシンプルに伝えようと、僕は自分の仕事のコンセプトを「Plastic Ikebana & Electric
Bento」と、呼ぶことがあります。
THE
ROTATORSを楽器のように使ったライブパフォーマンスをよく行っていて、大好きです。その理由は、食べ物の味と同じくらい非常に感覚的な面が強く、
ゆえに伝達スピードの速い「音」をコントロールし、今まで話した概念の全部と、実際の物質が同時にその場に等価なものとしてあって、それらを人間の
身体のサイズに合った方法で、総合的に、しかも瞬間的に表現できる可能性があるのが良いライブパフォーマンスの時間だと考えているからです。もちろんな
かなかハードルが高くていつもうまくいくとは限らないのですが、他の表現形態にはないスペシャルなやりがいがあるものだと思っています。また、このプロ
ジェクト全体において、工程の90%以上は厳格で厳密な技術の時間なので、音を出す時間は、感覚が最も優先する貴重で幸せな時間と捉えています。
THE
ROTATORSの音楽は、ダンスミュージックのドラムサウンドのような「ビーツ」です。機械的な仕組みは、レコード版と色鉛筆でできたディスクを使って
家
電の電源のオン/オフをするディスク式のオルゴールのようなもので、美術の展示空間でサウンドスカルプチャーとしてプレゼンテーションする場合、それは部
屋全体の空間を使った巨大なアナログのドラムマシンともいえます。そこには言葉や歌はありませんが、世界中のクラブで響いているようなビートを、世界中ど
こにでもあるジューサーやドライヤーのインダストリアル音を使って「翻訳」する技法で、我々が生きている現実のこの世界で、活力を持って、聡明に、元気に
生きていく上で重要なことを、グッ!と腰にくるパンチィなやつを、抽象的な表現で表すことができると面白いと思って、特にライブパフォーマンスの時間は
パー
ティーのようにプレイしています。
モーターの磁石とコイルに電気を通すと回転運動が生まれ、その磁場の動きを磁石とコイルからなるエレキギターのピックアップが捉えると発電し、そ
の電気をアンプで増幅したものがラウドスピーカーに流れると磁石とコイルが動き、振動が音になります。これがTHE
ROTATORSの物理的な仕組みです。この磁力によるムーブメントの構造をイメージするとき、僕は壮大な地球や宇宙の回転運動を思い出してうっとりと
し
ます。
2008年1月、CASA International (中国)2007年9月号のための原稿に訂正加筆
宇治野宗輝